大内眼科は白内障手術・多焦点眼内レンズで多数の実績を保有しています

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2017年08月の記事一覧

テレビ取材を受ける

昨日、多焦点眼内レンズの普及に関する、テレビ取材を受けました。詳しい内容は、913日のオンエアのあと、ご紹介することとして、今日は、この様なテレビ映像の制作現場を少しお話ししたいと思います。今回は「医者の舞台裏」ではなく「テレビの舞台裏」です。



さて、色んな場所で情報の質が問われる昨今、特に医療に関する情報を流すときは、メディアも、表現の細かい部分まで、非常に慎重に検討されます。同じテレビの世界でも、医療情報では無く、事件や時事ネタとして医療現場での出来事を流す、いわゆるワイドショー的な番組では、時に視聴率第一主義と思われる、我々が首をかしげたくなるような内容を、刺激的な表現で流されますが、それらとは両極端で、興味深く思われました。恐らく、制作主任の立場や、性格 (慎重で良心的な人、イケイケ・ドンドンの人、等々)が大きく関係していると思います。

まず、今回話題にする内容について、基本的な事柄を、医師である私から、スタッフの方に向けて、説明をします。事前に打ち合わせにいらっしゃった時にもアウトラインをご説明し、メールのやりとりもしているのですが、現場のディレクターや、インタビューをして下さるレポーターの方とは、収録日が初対面ですので、もう一度、日頃講演で使っているスライドなどを用いてご説明した上で、いよいよインタビューと撮影に入ります。



途中、表現や言葉の使い回しで気になる点があったときは、一旦止めて、再度確認をしてから、続きの撮影をするのですが、この時、映像の連続性を維持するために、「止める前の手の位置はどうだったっけ?」「眼の模型、どちらの手に持ってましたっけ?」など、前の映像を見て、同じ形からスタートしなければいけません。

また、インタビュー映像でよく見られる、レポーターさんの頷く姿がアップになるシーンなどは、実は、別に撮影しているのです。一度、通しでインタビューを撮った後、今度は、レポーターさんだけにカメラを向けて、いろんな内容を想定した「うなずき」のシーンを撮影。これらと、さらに説明の図や写真を間に挟む切り貼り作業(いわゆる編集作業)を、局に戻ったスタッフさん達が大慌てで進めてゆく、という事のようです。

 

さて、この様にして出来上がる、番組の一場面。ほんの10分ほどのシーンに、セッティングなど含め、約2時間のお仕事になります。皆様、お疲れ様でした。

放映は、913日の予定です。詳しい時間帯が決まれば、またご報告しますが、その日に、大事件や芸能人の大スキャンダルが起らないことをお祈りしましょう。

術者が手術を受けてみた。

日頃は、手術を執刀してばかりの私ですが、実は一昨年、手術を2度受けました。

半月板損傷と右肘関節内滑膜肥厚、いずれも、趣味のテニスと下手なゴルフが原因の膝、肘の故障です。

手術患者になって一番に望んだことは、やはり「綺麗に治して欲しい」ということと、ダウンタイムの短さ、つまり早期の復帰でした。特に,私のように仕事を持っている社会的な生産性を持つものとしては,切実な問題です。そして、このことは、我々、白内障屈折手術の世界では、ずっと前から唄われている概念で、今も益々加速しています。改めて、当たり前のようにそれを追求している自分たちの仕事が、医学の中でも、とっても貴重である事を実感した次第でした。

 一方、自分の受けた二度の手術も、術後2日で退院し、その日から自分で車の運転もして、日常生活には直ぐに復帰できましたし、仕事も、外来診療は3日目から、手術は5日目から可能でした。


写真上は、膝手術翌日の退院時、像のように脚が浮腫んでいますが、ひと月も経てば、下のように、元通りで、ふた月後には、スポーツも再開できました。


 

小切開低侵襲を目指してきた関節鏡手術の技術に感謝。これも、我々の白内障手術同様、整形外科医・研究者の方々、関連産業の努力と工夫の積み重ねのお陰です。そして、そこには、過去のデータと闊達な討論が不可欠だったことを忘れてはいけません。

ところが昨今、医学、特に臨床研究の場では、様々な縛りが増え、かつてのようなスピード感を持った研究が進め難くなっています。

 

しかし、いつの時代も病気は待ってくれません。
私が受けた、膝、肘の小切開・関節鏡手術も、過去の精力的な臨床研究があったからこそ、可能になったわけですから、もしその時、色んな人が責任逃れのために沢山のルールを作って、その研究を遅らせていたら、私は患者として許せなかったでしょう。

研究や進歩は自分達のためではない、未来のためのものです。

 

だから私は、自分の手術ビデオ、臨床データ、切除切片など、後進と教育の為なら、私に断り無く有益に使って頂きたい。なぜなら、自分は医学の進歩の恩恵を受けたのに、自分は未来の患者さんのためにはなりたく無いなんて、私には考えられないから。

 

人類と病との戦いくらいは、性善説で人類一丸となって進めたい。
これは、医師:大内としての理解ではなく、患者:大内としての祈りです。

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